若者たちに自分の性別について語ってもらう企画の後半は、小林このみさんへのインタビューです。
小林さんは、20歳のときに性別適合手術を受けて戸籍の性別を女性から男性に変更した後、男性でも女性でもない生き方にたどり着きました。
ドキュメンタリー映画『空と、木の実と』でも取り上げられた自分の性別を探す旅路についてインタビューしました。
小林さんが自分を女性ではないと思ったのはいつ頃でしょうか?
小学生の頃に赤いランドセルを背負って学校に行くのに途中から嫌悪感を持つようになったこと、林間学校や修学旅行での女子部屋に首を傾げたあたりでしょうか。赤い色が嫌いなのではなく、女性だからあてがわれる色なのがいやでした。
中学に上がるとセーラー服の着用にとても嫌悪感がありました。制服を作りに行く時もふてくされたような態度で、毎朝着替えながら憂鬱な気分だったことを今でも憶えています。
その後、中学2年生頃からカミングアウトをして男性として生活するようになります。
当時は性別は男性と女性の二つしかないと思っていたので、女性じゃないなら自分は男性なのだろうと思っていました。
でも、男性として生活をはじめる中で、どうやら男性でもないんじゃないかと思いはじめました。
男性じゃないかも、と思ったきっかけはありますか?
きっかけは22歳のとき、バイト先の店長が近隣に新人として紹介してくれるときに「男の子が入ったんです」と言い回っていたこと。性別を伝える必要って何なのだろうと思いました。
その後、Xジェンダーの方と出会って、性別は男と女の2種類ではないことがわかりました。
いまでは自分のことを無性(男でも女でもない)と認識しています。見た目が中性的で、どちらにも見えるせいか、飲み屋で一緒になった他のお客さんや服を買いにいった先の店員さんにも性別をよく聞かれるんですが、そのたびに「なんで言う必要があるんだろう」って思いますね。
性別違和に苦しんでいた中学生時代に、Xジェンダーという言葉を知っていたら、自分はそうだともっと前からわかったかもしれません。でも、もし自分が今タイムマシンで過去に戻れたとしても、やっぱり同じようなホルモン治療や外科的手術は受けたでしょうね。身体を変える治療を受けたことについては、とても満足しています。
私は女性の体に強い違和感を持っていましたし、戸籍に書かれる性別も女とされていることにも嫌悪感がありました。今の性自認は無性ですが、以前に比べて戸籍に対する嫌悪感もないですし体も満足しているので、手術をして戸籍変更をしたことは、心から良かったと思っています。
周囲の人たちの様子はどうでしたか?
友人はもともと性別関係なくみんなで遊んでいたので、自分の性が女性ではなくて男性なんだと言った時も、男性でもなかったと言った時も変わらずに接してくれています。最近知り合った事情を知る友達と遊びに行った時、相手がトイレに行った後「男女兼用トイレだった」とぽつりと呟いてくれたのがとても嬉しかったです。分けられていると行きづらいので。
学校に対して、もっとこうだったらよかったのにな、と思うことはいくつかあります。
たとえば、今はランドセルも色がバリエーション豊富になりましたが、カバンで登校できても良かったんじゃないかと思います。中学もジャージや私服登校可能だったり、制服が男女別ではなかったり、誰でも入れる個室トイレがあれば通いやすかったです。
高校は私服登校OKで、車椅子トイレもありましたのでとても通いやすかったです。
最近は女子のスラックス制服が増えてますが、結局それも女子制服という枠組みなら、自分は履けなかったと思いますね。
性別について悩んでいる方へ、メッセージをお願いします
性別に揺らぐ人も、性別に迷う人もいていいし、答えを見つけたり白黒はっきりつける必要もないと思います。つけたいひとは、つけたらいい。人は全員が違っていて当然ですから。
小林さん、ありがとうございました!